ネグロスって何だ?と思った人がほとんどでしょう。
ここに書いてあることは、自分が1997年の夏休みに、ちょっとした事でフィリピンの ネグロス島に行ってきた感想みたいなものです。
字ばっかしで見にくいと思いますが、見ていってください。


ネグロス島が何処にあるかと言うと、上の地図にあるように、フィリピンの真ん中ぐらいにあります。
福岡空港から飛行機で約3時間フィリピンの首都マニラを経由し、そこからまた飛行機で1時間行ったところにネグロス島があります。(距離は、福岡から約3500キロ)
何故ネグロスへ行ったかと言うと、自分の家はグリンコ−プ(生協)に入っていて、去年の6月頃、親がグリンコ−プの広告を見ていてた時、偶然自分もそこにいて、広告の中に”ネグロスツア−”料金の半分はグリンコ−プが出します。というのを自分が見つけて、外国に行きたかったし、夏休みはヒマだから、行って見ることにしました。
今思えば、この広告を見つけていなかったら、ネグロス島に行くことなんてなかったし、大切な人とも出会うこともできませんでした。
出発の日、福岡空港で自分は、飛行機に乗るのは初めてだったので少し緊張していました。飛ぶ瞬間けっこう重力がかかったけど、無事に飛んでくれてよかったです。
ネグロスに着いて、まず最初に感じたことは、日本より暑くないことでした。フィリピンには雨期と乾期があり今は雨期だそうで、ものすごい雨が降っていたけどここの人は、このくらいの雨たいしたことない、と言っていました。(たぶん日本では電車(日田彦山線)が確実に止まるぐらいの強さだと思う。)

街の様子を見てみると、日本よりネオンが少ないし、道路はガタガタで車は右を走っているなど、なんだか見慣れない事ばかりでとまどってしまいました。しかも日本人は金持ちと思われているらしく、車が止まると道のわきから変な玩具を持った人が出てきて、千円と言って売りつけてくるし、店に入ると日本では百円ぐらいのカップラ−メンや梅干しが五百円以上もするし、もう大変でした。
あと、フィリピンと日本では時差で日本の方が1時間早いのですが、たった1時間でも時差ぼけしてしまいました。
この旅の目的は、グリンコ−プがここから輸入しているバナナがどんなふうにして作られ、そしてどうやって送られてくるか、現地の人と交流しながら学んでいく、ということなので、さっそく次の日に現地の人と合流してバナナ山へ行きました。ここの人達は、イロンゴ語を話すけど、公用語は英語なので、英語で話かけてきました。知っている単語をつなぎ合わせると何を言っているのかだいたい予測はつくのだけど、日本の英語で勉強している難しい文法なんて、何にも役にたっていないような気がしました。
バナナ山のふもとには、とうもろこしと、さとうきびがいっぱい植えられていました。その中を通って山を登っていくと、上へ行くにつれてだんだんバナナの木が多くなってきました。山道はとても険しく、雨で泥だらけだったのでとてもきつかったです。ここの人は、重いバナナを持ってこの道を歩き、しかも傷をつけないようにしなければならなく、とても大変そうでした。自分たちが、ふだんなにげなく食べているバナナがこんなふうに送られてくるなんて、今まで思ってもいませんでした。
山の真ん中ぐらいから見た景色はバナナの木さえなければ阿蘇の草千里とまったく同じみたいでした。その日はバナナ山の民家に泊まったのだけど、蝦に刺されたり、雨漏りしたり、朝早くから鶏が鳴いたりでほとんど眠れませんでした。ここの蝦は虫よけスプレ−をすると反対に寄ってくるみたいで、いっしょに行った人で10カ所ぐらい刺された人もいました。
の人達が通っている高校の英語の授業に参加する事になり、みんな眠いのをがまんしながら学校へ行きました。(学校は山から2時間ぐらいの所にある)授業の始りのあいさつは日本といっしょだったけれど、ここの先生が、すべて英語で授業をやりだしたので、もう頭がパニックしてしまったけれど、幸い黒板に文字を書いてくれたので、内容が受動態と能動態の基礎だということがなんとか分かりました。
日本へ帰る日になり、自分たちはもう少し居たかったけれど現地の人と別れを惜しみながら飛行機に乗りました。飛行機が夜9時にマニラ到着だったのでマニラの空港経営のホテルに泊まりました。そこは、今まで泊まっていたところより100倍ぐらい豪華で、この国の貧富の差の象徴のような物のに見えました。たぶんこのホテルで飲むジュ−ス一杯分の金(250円ぐらい)で、庶民が1日食べていけるぐらいだと思います。
次の日、空港の金属探知器に自分の財布に入れていた、大量のフィリピンのコインが反応してしまうというアクシデントがありながらも、免税店でお土産を買ってマニラ空港から福岡に行く飛行機に乗り約3時間、1週間ぶりの日本、福岡に帰ってきました。最初のうちは1時間の時差と車が左を走ってることと、明かりだらけの街と、くそ暑い日本の夏で、なかなか日本の生活になじめなかったけれど3日でやっともとの生活に戻ることができました。日本以外の文化を体験できて、いい経験になりました。



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